☆Luminare☆

何ものにも縛られず、自らの可能性を見出し、光り輝きたい人へ

鹿児島旅行♪二日目

前回 の続き
二日目は、知覧→指宿の南下コースであり、今回の旅のメインです!
 
映画 「俺は、君のためにこそ死にに行く

俺は、君のためにこそ死ににいく - Wikipedia

を見て予習してたので、「なぜこんな土地に飛行場があったのか」とか、「この山道を登りながら彼らは何を感じたのだろう」とか、いろいろ考え感じながら、知覧に行くまでのかなりの山道を登りました。
 
 
富屋旅館
f:id:luminare0911:20180307162806j:image


「特攻の母」と呼ばれ、映画でも取り上げられていた「鳥濱トメ」さんや実際にいた特攻隊員の資料があって、入った時には中学生もいました。
映画で取り上げられていたエピソードと繋がってみることができ、微笑ましいエピソードもあって、特攻隊員たちも普通の男の子だったんだなとほっこりした気持ちにもなりました。
 
そして、知覧茶屋でお昼を食べて、いざ知覧特攻平和会館
 
遺書がほとんどだけど、引き揚げられた零戦を見たときは言葉を失いました。本当に73年前に戦争があり、この機に乗っていた方がいたんだと。写真OKとのことでしたが、恐れ多くて撮影できませんでした。
 
遺書や写真などを見て、なんでこんなに長い手紙を書けて、輝くような笑顔ができるんだろうと疑問に思うと同時に、今の同じ世代の子達よりも(その上の世代よりも)、何十倍も精神性が高く、思慮深い人たちなんだろうなと感じました。
 
 
前日の、仙巌園で感じた島津斉彬公はじめ、そういう変革の時に台頭してくる方々は、
個人としての命の使い方ではなく、日本人や将来の日本のためという個を超えた命の使い方をされているなと感じました。
 
また、西洋を取り入れて日本が大きく発展した明治維新の始まりと、その勢いそのままに太平洋戦争に突入し悲しい末路・終焉の始まりと終わりの両方が、鹿児島という地にあることにも何か意味がある気がしてしまいます。
 
 
トメさんも「なぜ生き残ったのかを考えなさい」という主旨の言葉を書いていて、
戦後生まれた私たちにも同様の使命があるように感じ、
未来の日本や世界を思い亡くなった方々に恥じない、生き方や日本、世界を創っていきたいと改めて思いました。