☆Luminare☆

何ものにも縛られず、自らの可能性を見出し、光り輝きたい人へ

12月で思い出すこと

こんにちは!

 

最近、急に寒くなりましたね💦

この寒さと12月になると、思い出すことがあります。

 

 

 

13年前の12月。

母方の祖父がくも膜下出血で亡くなりました。

倒れたと連絡があった日から数日後、亡くなったと連絡が来た日のことはいまだに鮮明に覚えています。

 

・所属していた合唱サークルの発表会のリハーサル日だったため、そのリハが終わってから行ったこと

・発表会で歌う歌の中に「死」に対する歌があり、涙が出そうになったのを必死にこらえて結局歌えなかったこと

岡山駅で電車を待っていたときの刺すような寒さ

・最寄り駅からのタクシーの中で、涙が止まらなくなったこと

 

「人の死」を間近に見たのは、これが初めてだったし、祖父には可愛がってくれていたので悲しかったし、いまだに思い出すと涙が出てきそうになりますが、

棺の中の祖父の顔になぜか血痕が残っていて、エンゼルメイクでは元の姿に近い姿にしようと固く誓った日でもありました。

 

 

 

そして、この日を境に母方の家族の時間が止まりました。

 

物理的には、祖母が認知症を発症するなどそれぞれ年を取っていますが、

なにかもめごとになると、いつも話題に上るのは、祖父が倒れた時のこと。 

 

「救急車で搬送先が変わったからだ」(重症例だったから最初運ばれた病院では対応困難だった)

「心臓マッサージとか何もしてほしくないって言ってたけど、それを勝手に決めないでほしかった」(元々祖父はno CPR希望で、長男がそれを医師に伝えた)

などなど。

 

冷静に考えたり、医療者であれば賢明な判断であるのだけど、

感情が邪魔してそれが整理できなくて意固地になって、生存している祖母に対してのそれぞれの「良かれ」がさらにエスカレートして、母の兄弟は今は心がバラバラで一触即発な状態。

 

それに心痛めている祖母の話を聞いていると、こっちまで悲しくなります。

 

そのような光景を見て、「家族・親戚は仲良くしなければいけないもの。仲良いことが当然」という私の固定概念にも気づけたけど、やはり祖母には笑っててほしいという願望はあります。

 

一堂に会して話すことが難しい今。

観点の問題が分かっている孫として、何かできることはないだろうか。

この姿を見て、祖父はどう思ってるんだろう。

 

まだまだ時間がかかりそうだけど、仲間の力を借りて、少しずつ家族のコンサルティングに入れたらいいなと思いました!

 

 

もし、何か良いアイデアがありましたら、連絡ください!

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

のんのん