私が一人○○をしてしまう理由
こんにちは❗
梅や菜の花が咲いてきて、桜の開花予想が出たり、花粉が飛んだりと、春が近づいてきましたね❗
私はだんだん暖かくなると旅をしたくなる(一年中でもあるけど)のですが、近くても遠くても一人で行くことが多いです。
そんな話を仲間としていたら、一人旅なんてできないって人が多いことにビックリ❗
・道に迷ったらどうしようという不安
・地図が読めない
・人に道を聞けない
などなど。迷子になる前提の話が多いですが。。
私も、人に道を聞けない時代が長かったけど、一度通った道はなんとなく覚えられるという特技と、いろんなところで地図を読むようになって、だんだん案内図や地図のみで迷子を回避することができるようになりました❗
人生も道も、自分がいる場所が分かることって、大事ですよね🎵
一人で興味のあるいろんな所に行くから、アクティブとか羨ましいとか言われるけど、私のなかでは普通なんで、皆もできるよ!と簡単に言ってしまうんです。。
迷ったら迷ったで、楽しめばいいし🎶
「旅の恥はかきすて」だから、誰かに聞けばいいじゃん!とか。
でも、一人で動く大前提の観点が
それは、
『声をかけても振り向いてもらえないor全てにおいて忠告される』→
『誰も私や私のやることに興味がないんだろうor私の言うことに文句言わせたくない』→
じゃあ、一人で動いちゃえ❗誰も文句ないでしょ!?
というアクセル。
声をかけても結局他のことになったり断られたり、親からはやりたいことのリスクばかりを話されて、やる気を削がれることもよくあり、(親の心配だと今は受け入れられるけど)昔は「何で言うこと聞いてくれないんだ!」と思うばかりで。
また、逆に学校では自分の意見を言ったら討論したいのに、何の反論もなく、私の意見がそのまままかり通ってしまうことが多くて、
自分に自信がないからその現象が怖くて、
誰も私に興味を持たせない、私の世界観に関与させないような世界を自ら創っていたんですね。
自分だけが輝ける場所、自由に動ける場所を求めて。
だから、一人遊びも一人旅もお手の物になっていくし、そのために必要な知識や技術も身についていく。
でも、根底には寂しさが付きまとっていたし、交流したい気持ちは誰よりも溢れていたことに気づきました。
自分の観点やその奥深くにある寂しさに気づいて、それを共有できる友人ができたことで、もっと声をかけることもできるようになり、寂しさからもだんだん解放されていきました。
今は、お一人様で、自然やその場の人との交流を楽しみつつ、断られてもいいやという軽い気持ちで、人に声をかけるようになり、その中でお互いの新たな一面を発見しあえるようになりました!
そんな輪がどんどん広がる活動をしていきたいなと思っています!
最後までお読みいただきありがとうございました。
のんのん