絶対的自己肯定感を得たい方へ
こんにちは!
師走という名の通り、忙しい日々を過ごしています。
先日、書いたブログの続き
にもなりますが、
今年の私のテーマでもある『絶対的自己肯定感』
自己肯定感を磨くとか、よく言われてますけど、
では、何が『自己・自分』なのかその話をしたいと思います。
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仕事が嫌でその職場を円満退職するために、寿退職に逃げようと婚活を始めようとしていた8年前。
ある人から
「まず、自分が何者なのか、自分のセールスポイントを見つけないとね❗」
と言われました。
確かに❗と思ったけど、自分のセールスポイントが見つからなかったんですね。
看護師であること、見た目もそんなに悪くないこと、あまり怒らないこと
などなど、私がいうのも変ですが…
結婚したい男性にとっては、お得な物件だったかもしれません。
ただ、そういう括りで見られたくない❗という気持ちが強かったんですね😅
何もレッテルが付いていない自分を観てほしい❗分かってほしい❗と。
自分探しと称して、たまに国内旅行にふらっと行くけど、そんなところに自分なんているわけなくて。
そうなると、じゃあ「自分」って何だろう。自分のセールスポイントって??
と、どんどん分からなくなりました。
そこで、出会ったのがnTech。
そこには、想像を遥かに越えるとてもとても深くて広い世界がありました。
「自分」とは、とてもとても他に比べるものがないぐらいなものから、意思によって生まれたもの。
他と比べるものがないから、絶対的なんですよね❗
相対的に物事を考えてしまうのは、「自分を存在させたいから」。相手がいる、相手と比べることで、自分を認識できる。
だから、「自を分ける」と書いて、「自分」。
先日、セミナーを久しぶりに受けて、絶対的自己肯定感を得るための、「自分」についてのイメージの深さを再認識して、その認識トレーニングをしていこうと思いました!
そして今、アイデンティティが小さくなってしまっている祖母に声をかけるなら、
できているところを絶対的に褒めること、話を聞くことだけじゃなくて、
「おばあちゃんは、そんなに小さな人間じゃないよ!」
「おばあちゃんのおかげで、いろんなことを学ばせてもらってるよ!」
なにより
「おばあちゃん、生きててくれてありがとう!」
と伝えてあげたいな🎵
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
のんのん
自己肯定感のある老い方とは
こんにちは!
まだ30代なのにこのタイトル?ってビックリされそうですが、先日の帰郷で気づいたことがたくさんあったので、連続投稿させていただきます。
80代の祖母と会った時、第一印象は「こんなに小さかったっけ?」
身長が縮んでいることもありますが、それ以上に祖母の姿はとても小さく見えて、歩行介助で手をつないだ時も、「こんなに小さかったっけ?」という感覚がありました。
そして、よく人を笑わせていた祖母のアイデンティティ自体も、とても小さくなっていて、
二言目には「ボケてしもうて何もできん」「生きてても何の役にも立たん」「よう分からん」とマイナス発言ばかり。
時間の経過ゆえにしょうがない部分もあると思うし、ゆっくり待てばできることも多いけど、
どうしても「昔より動かなくなった」と過去の自分との相対比較が激しくなり、いくら出来ていることを伝えても、すぐに自己否定になってしまう。
それは、祖母だけではなくて周囲の家族も同じく記憶が邪魔をして、「昔はもっとこうだったのに」と、現在を受け入れきれず、祖母のゆっくりとした行動にいら立ちを覚えて、祖母ができることすらも奪ってしまって、さらに祖母のアイデンティティが小さくなるという悪循環を感じました。。
高齢の患者さんの中でも、「老いを受け入れている人」と「受け入れきれていない人」と分かれているなと思っていたけど、何が違うんだろうと考えたところ
その大きな違いは、
「できていることを見ているか」
「できないことを見ているか」
☆バイタリティーに溢れている方は、できていることに視点を向けて、好奇心旺盛で、また自分にできることはないのかと視野を広げていることが多い。
☆どんどん鬱っぽくなる方は、できないことしか見れていないので、新しいものへの挑戦が難しくなる。
実際に、もう片方の祖母は「できないことをくよくよしてもしょうがないじゃない」と開き直るタイプで、高齢になってから読書が趣味になり、自分が得意なことをすると照れ臭そうに報告するから、同じ年代でもアイデンティティの違いでこんなに違うんだと実感。
でも、これって、高齢者だけではなくて、人間全員に当てはまりませんか??
私自身も自己否定が強いから、どうしても「できないこと」を観ることが多くて、どんなに褒められても、「あれができていないから褒められる者じゃない」と思っていて。
その元々のアイデンティティが、年を重ねることでさらに強固になって、老い方にも関わってくるんだろうなと思いました。
今年の私のテーマでもある「絶対自己肯定感」
これは、私だけではなくて老若男女問わず人類共通のテーマでもあるのではないかと思いました。
楽しく老いを過ごすには、どうしたら自己肯定感を養えるのか、そのテクニックはまた今度お伝えしたいと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。
のんのん
12月で思い出すこと
こんにちは!
最近、急に寒くなりましたね💦
この寒さと12月になると、思い出すことがあります。
13年前の12月。
母方の祖父がくも膜下出血で亡くなりました。
倒れたと連絡があった日から数日後、亡くなったと連絡が来た日のことはいまだに鮮明に覚えています。
・所属していた合唱サークルの発表会のリハーサル日だったため、そのリハが終わってから行ったこと
・発表会で歌う歌の中に「死」に対する歌があり、涙が出そうになったのを必死にこらえて結局歌えなかったこと
・岡山駅で電車を待っていたときの刺すような寒さ
・最寄り駅からのタクシーの中で、涙が止まらなくなったこと
「人の死」を間近に見たのは、これが初めてだったし、祖父には可愛がってくれていたので悲しかったし、いまだに思い出すと涙が出てきそうになりますが、
棺の中の祖父の顔になぜか血痕が残っていて、エンゼルメイクでは元の姿に近い姿にしようと固く誓った日でもありました。
そして、この日を境に母方の家族の時間が止まりました。
物理的には、祖母が認知症を発症するなどそれぞれ年を取っていますが、
なにかもめごとになると、いつも話題に上るのは、祖父が倒れた時のこと。
「救急車で搬送先が変わったからだ」(重症例だったから最初運ばれた病院では対応困難だった)
「心臓マッサージとか何もしてほしくないって言ってたけど、それを勝手に決めないでほしかった」(元々祖父はno CPR希望で、長男がそれを医師に伝えた)
などなど。
冷静に考えたり、医療者であれば賢明な判断であるのだけど、
感情が邪魔してそれが整理できなくて意固地になって、生存している祖母に対してのそれぞれの「良かれ」がさらにエスカレートして、母の兄弟は今は心がバラバラで一触即発な状態。
それに心痛めている祖母の話を聞いていると、こっちまで悲しくなります。
そのような光景を見て、「家族・親戚は仲良くしなければいけないもの。仲良いことが当然」という私の固定概念にも気づけたけど、やはり祖母には笑っててほしいという願望はあります。
一堂に会して話すことが難しい今。
観点の問題が分かっている孫として、何かできることはないだろうか。
この姿を見て、祖父はどう思ってるんだろう。
まだまだ時間がかかりそうだけど、仲間の力を借りて、少しずつ家族のコンサルティングに入れたらいいなと思いました!
もし、何か良いアイデアがありましたら、連絡ください!
最後までお読みいただきありがとうございました。
のんのん
旅行が何十倍も充実してしまうツアー!
こんにちは!
すっかり寒くなってきて冬が近づいてきてますね。
今月は、旅行のブログばかりになってしまったから、何で旅行が好きなんだろうと自分なりに考えてみました。
小さい頃は、父と弟がボーイスカウトをしていて土日がつぶれていたので、遠出することは少なくて、家族旅行は、熱海と日光、そして岡山にある両親の実家行くついでで行った宮島のみ。ディズニーランドへは年に1回行くぐらいで、他の遊園地はそれぞれ1回しか行った記憶がないです。
横浜に住んでいたのに、シーパラは行ったことなし…
そう考えると、旅行好きになったのは大人になってからなんですね。
一人旅の最初は、家の近くの温泉から始まり、だんだんと新幹線を使って遠出するように。
ドライブも好きで、名古屋に住んでいる友達に会いに、高速を飛ばして行ったこともありました。
当時の私にとって、旅行は有名なところに行ってリフレッシュすることだけが目的でした。
なので、撮った写真は建物ばかりで、ご飯もお店を探してはみるけど結局は一人じゃ入れないと思い込んで、コンビニ弁当でホテルで食べるということも。男性みたいとよく言われましたが、旅の目的が果たせたら他はどうでもいい感じでした。
そして、やっぱり帰り道になると、「帰りたくないな」とか、「明日からまた仕事か」とため息ばかり。旅行の感想聞かれても、「建物がすごかった」ぐらいしかなくて、自分でも何かつまらないなと思ってました。
そんな時に出会ったのが、nTechをベースに作られた教育観光ツアーの「ヌリ路」。
アテンドしてくださる方も素晴らしく、その土地の時代や建物の歴史的な背景なども現地に行きながら教えてくれるので、自分がその時代にいた人のような感覚になれるんです!
そのヌリ路に参加してから、私の旅行に対するスタンスが変わりました!
特に今年は九州を巡ってみたけど、九州は神話や邪馬台国などの古代から明治維新の立役者がたくさん出ているなど、歴史的にとても興味深い場所ばかり!
その中で、旅行先の土地の歴史やどんな人が出身なのか、どこかと通じるものはあるのかと考えてみたり、書かれている説明を読んで、思いを馳せてみたり。
今までは、自分と建造物を分けて考えてきてたけど、歴史背景などを考えてみることで、当時の人々の気持ちが少し分かるようになり、その人たちが建てた建造物がまったくの赤の他人ではなくなるし、その時代から脈々と受け継がれている土地のエネルギーとも繋がることができるんです!
だから、その土地の美味しいものを頂こうとドアを開けることができるし、土地の方の会話がしたくてたまらなくなります!
そして、その土地のエネルギーを感じながら、私は後世になにを残そうかなと考えるまでに!
えっ?と思うかもしれませんが、旅行を通してまさに温故知新を学び、自己満足で終わるのではなく、未来へどういう日本を残していきたいのかを考えられる壮大な旅行になっていきます!
皆さんも、その壮大な旅行を試してみませんか?
ヌリ路は、不定期開催ですが、ぜひ参加してみてください!
ぜひ興味のある方は、こちらへ→
https://www.facebook.com/nuriroad/
本日もお読みいただきありがとうございました。
のんのん
高千穂・幣立神宮ツアー
こんにちは!
秋が深まり、だんだん寒くなってきましたね。いかがお過ごしでしょうか。
私は、急激な寒暖の差で、風邪気味です。。
先日、一緒にnTechを応用活用している5人で、高千穂・幣立神宮に行ってきました。
高千穂は、宮崎県なので、九州全県制覇しました!福岡に越して4年目。当初から、他の県に行きたいと思いながらも、なかなか行かずに、今年再度意志を立てたら、11月にして達成しました!
よく言われますが、意志を立てれば、叶うものですね☆彡
ということで、まずは、天岩戸神話で有名な天岩戸神社と天安河原へ。
横になってしまう・・・
天岩戸がある山全体が神域とされているそうで、山崩れが起きそうになっていても立ち入り禁止。歴史を感じるとともに、なんでもかんでも手を加えるのではなく、ありのままの姿を見守り続けるということも重要なんだなと思いました。
天安河原では、神話の通り、話し合いがしていたのかなと思えるような場所。
神秘的な写真も撮れました。
そして、高千穂で有名なもう一か所の場所の高千穂峡!
紅葉は途中でしたが、水面に流れる落ち葉がきれいでした。
有名な滝には時間の都合上行けませんでしたが、明らかに空気が変わる場所もあって、ずっといたい気分でした!
そして、最後は幣立神宮へ。
高千穂と幣立神宮へ続く道は、1本なんですよね。
ここを通って、天照大神は阿蘇へ向かったのかなと思いを馳せられます。
幣立神宮へ行くのは、これで4回目!
そのうち3回は、春から夏にかけて行っていたので、今回草木が枯れているのを見て、四季の移ろいを感じました。
また、4回目にしても新しい発見が!
エネルギーとか、未だに感じられないけど、何度も行きたくなるということは、何かを求めていてそこにその何かがあるのかなと感じます🎶
1人旅も楽しいけど、5人で行くことでそれぞれの観点のぶつかり合いや、観点の融合からの上昇を感じられて、複数人で行って、あーでもないこーでもないと言うことも、大切だし、学びになるなと感じた旅でした☆
最近は、旅ばかりしてて、旅ブログみたいになってますが💦
歴史や自然と触れ合うことは、非日常感を感じられるのはもちろん、
五感を通してたくさんの何かを吸収出来て、それを活かしてどうしていこうかと考えられるので、とても好きです♡
皆さんは、旅行でどんなことを得ていますか?
本日も最後までお読みいただきありがとうございました。
のんのん
2が1になる大分
こんにちは!
先日、中津→宇佐→国東半島に旅行に行ってきました!九州内6県目の大分!後は宮崎のみ!
親類縁者に九州出身はいないと思っていたのですが、どうやら曾祖母が国東半島の根元出身らしい、
国東半島の神仏習合、六郷満山開化が1300周年という記念の年らしいということだけで、よく分からないまま大分に興味を持って、ほとんど調べずに行ってきました。
ということで、今回は旅レポを。
①中津市街
あの福沢諭吉さんの出身地との事で、まず記念館&旧居へ。西洋の学問を学び、日本を立ち上がらせるために、幕末の事件が近くであったにも関わらず講義を続けていたこと、中津の教育水準を上げるために慶應義塾の先生を中津にも派遣していたこと、門下生が政財界各所で活躍しているなどなど、万札の顔として居続ける理由が大まかに分かる場所でした。『学問のススメ』の初版も見れました❗
中津には、『解体新書』がある記念館もあるらしく、幕末の中津はなかなかすごい所だったのではないかと妄想も膨らみます。
中津城にあった、福沢諭吉が唱えたという「独立自尊」という言葉も、重みを感じます。
②中津城
中津城は、黒田官兵衛が築城して、それを細川家が継ぐという、戦国時代や九州の歴史が好きな人ならゾワゾワするようなお城。石垣も、黒田家と細川家で明らかに組み方が違っています。
そして、黒田家側の石垣の前で野良猫に好かれるハプニングが😅人懐っこすぎて靴をペロペロ舐めて、歩いても付いてくるからどうしようかと思ったけど、細川家側や川の方に行くと付いてこない。黒田家の守り猫なのかな?
石垣の右側が黒田家、左側が細川家。
③宇佐神宮
今回の旅の目的地❗神仏習合の発祥の場所でもある宇佐神宮。やはり朱色がキレイ✨葉が擦れる音、水の流れる音、全てが心地よかったです🎵
上宮と下宮、両方にちゃんとお参りして、奥にあった弥勒寺跡も回ってきました。
勉強不足で由来は分からないけど、今では伊勢神宮に次ぐ宗廊らしいです。
④熊野磨崖仏
崖に彫られてる仏様も、誰がなんのためにどうやって?と思ったけど、そこに至るまでの階段は鬼が石段を積み上げたという伝説が残ってる場所。彫られた仏様の先には神社があって、まさに神仏習合の代表される場所。
マイナスイオンもたっぷり浴びてきました!
⑤両子寺
国東半島のほぼ中央に位置していて、ここもまた寺の上に神社がある場所。今年1300周年の六郷満山文化の代表格。神社と寺社の違いが鳥居や鐘楼があるかないかぐらいしか分かってないけど、両方あるってことは、神仏習合ってことなのかとやっと国東半島のことが分かってきた。
実際回ってみて、
・国の東と書くけどその「国」とはどこなんだろう。邪馬台国?
・中国の昔の絵に出てくるような崖が何ヵ所もあって地学的にどんな土地なんだろう
・神仏習合や、二つの家が作った中津城、日本の学問に西洋を取り入れるなど、2が1になっていることが多いのに、なぜ「大分」「別府」など、分ける意味を持つ地名があるんだろう?
と興味が湧くばかり❗
もし、↑の疑問に思っていることで、分かる方がいたら教えてください!
最後までお読みいただきありがとうございました。
のんのん
No!と言える日本人
こんにちは!
皆さんは、「No」を言えてますか?
私は、「No」でした。(ギャグになってますね(笑))
常に「良い子」「物わかりの良い子」をずっとしてきたために、
・嫌だけど、「No」を言って相手に嫌な思いをさせるんじゃないか、物わかりの悪い子と思われるんじゃないか。
・一旦「No」は言ったけど、言っていることを理解しようと思えば理解できるから、自分の「No」の気持ちを蓋して「Yes」にしよう。
自分の気持ちそのものに嘘をつき続けて、自分の気持ちが分からなくなって、
自分の気持ちが分からないことも分からない麻痺の状態になってました。
そして、その「良い子」は体にも出て、社会人になってから風邪をひいて仕事を欠席するということは11年間で1日だけ。
でも、頭痛や胸の辺りがモヤモヤするし、アトピーなどの肌荒れは0になることはないし。。
心も体も、生活に支障が出ない程度にSOSを出してたんですね。
それにやっと気づいてからは、少しずつそのパンドラの箱を開け始めてます。
嫌なものには、イヤ!
泣きたいときには、泣く!
話したいときには、話す!
子どもみたいなことだと思われるかもしれないけど、そうすることで自分の本音に出会えるチャンス!
そして、自分のやりたいことが、さらに明確になっていって、今は私も心が軽くなってます(^^♪
日本人は、本音や「No」をなかなか言えない風土があるから難しいかもしれないけど、たまには、なりふり構わず、本音を出してみませんか?
最後までお読みいただきありがとうございました。
のんのん