ありのままの自分って?
こんにちは!
謹賀新年☆
遅くなりましたが、明けましておめでとうございます❗
今年も、本ブログをよろしくお願いします🙇
平成最後の年末年始は、どのように過ごしてましたか?
私は、仕事三昧でしたが、合間に見たテレビ番組を通して、別れとニュースタートとある共通点を感じてました。
一つは
小中学生の頃に、とてもハマっていたジャニーズJr.。特に、タッキー&翼は好きだったので、年末年始の特番で取り上げられていたのが、元ファンとして懐かしくもあり、嬉しくもあり、2人のニュースタートを応援したくなるものばかりでした。
もうひとつは
ずっと応援していた東海大学の箱根駅伝初優勝❗小さい頃から何気なく見ていた箱根駅伝だったけど、いつの間にか東海大学を応援するようになっていて、実際に関係する立場になってからは、陸上部の頑張りを近くで見ていたので、大学から離れてもずっと応援に熱が入ってました❗
あれだけ練習して、周囲から何度も期待されても、勝てなかったけど、やっと優勝できて、ゴールした瞬間は、叫ぶというよりは涙がじんわりと出てきました。
出雲駅伝後に、学生が監督に物申して、それからお互いが変わって話し合うようになったと言ってましたね🎵
今回の箱根駅伝は、往路、復路、総合の優勝校が全て違うということで、そこも群雄割拠らしさがあって、面白いですね✨
そして、私が感じた2つの共通点は
どちらも、自分の意思を相手(社長や監督)に伝えあって、最高の結果に至ってること。
年上の人、しかも尊敬してたり指導していただいている人に、自分の意思を伝えるってかなり勇気がいると思うんです。
それを勇気をもってやって、またそれを大人が受け止めてくれたから、言葉通り、風通しの良い関係性になって、最高の花道、優勝に結び付いたのではないかと思います。
自分の意思を伝えられるぐらいの信頼関係を作れるって、本当に良いな🎵と思ったし、そんな関係性をいろんな人と作っていきたいと改めて思った正月。
思うだけでなく、何度も転びながら、ゆっくりと実践していこうと思います❗
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
のんのん
2018年を振り返って
絶対的自己肯定感を得たい方へ
こんにちは!
師走という名の通り、忙しい日々を過ごしています。
先日、書いたブログの続き
にもなりますが、
今年の私のテーマでもある『絶対的自己肯定感』
自己肯定感を磨くとか、よく言われてますけど、
では、何が『自己・自分』なのかその話をしたいと思います。
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仕事が嫌でその職場を円満退職するために、寿退職に逃げようと婚活を始めようとしていた8年前。
ある人から
「まず、自分が何者なのか、自分のセールスポイントを見つけないとね❗」
と言われました。
確かに❗と思ったけど、自分のセールスポイントが見つからなかったんですね。
看護師であること、見た目もそんなに悪くないこと、あまり怒らないこと
などなど、私がいうのも変ですが…
結婚したい男性にとっては、お得な物件だったかもしれません。
ただ、そういう括りで見られたくない❗という気持ちが強かったんですね😅
何もレッテルが付いていない自分を観てほしい❗分かってほしい❗と。
自分探しと称して、たまに国内旅行にふらっと行くけど、そんなところに自分なんているわけなくて。
そうなると、じゃあ「自分」って何だろう。自分のセールスポイントって??
と、どんどん分からなくなりました。
そこで、出会ったのがnTech。
そこには、想像を遥かに越えるとてもとても深くて広い世界がありました。
「自分」とは、とてもとても他に比べるものがないぐらいなものから、意思によって生まれたもの。
他と比べるものがないから、絶対的なんですよね❗
相対的に物事を考えてしまうのは、「自分を存在させたいから」。相手がいる、相手と比べることで、自分を認識できる。
だから、「自を分ける」と書いて、「自分」。
先日、セミナーを久しぶりに受けて、絶対的自己肯定感を得るための、「自分」についてのイメージの深さを再認識して、その認識トレーニングをしていこうと思いました!
そして今、アイデンティティが小さくなってしまっている祖母に声をかけるなら、
できているところを絶対的に褒めること、話を聞くことだけじゃなくて、
「おばあちゃんは、そんなに小さな人間じゃないよ!」
「おばあちゃんのおかげで、いろんなことを学ばせてもらってるよ!」
なにより
「おばあちゃん、生きててくれてありがとう!」
と伝えてあげたいな🎵
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
のんのん
自己肯定感のある老い方とは
こんにちは!
まだ30代なのにこのタイトル?ってビックリされそうですが、先日の帰郷で気づいたことがたくさんあったので、連続投稿させていただきます。
80代の祖母と会った時、第一印象は「こんなに小さかったっけ?」
身長が縮んでいることもありますが、それ以上に祖母の姿はとても小さく見えて、歩行介助で手をつないだ時も、「こんなに小さかったっけ?」という感覚がありました。
そして、よく人を笑わせていた祖母のアイデンティティ自体も、とても小さくなっていて、
二言目には「ボケてしもうて何もできん」「生きてても何の役にも立たん」「よう分からん」とマイナス発言ばかり。
時間の経過ゆえにしょうがない部分もあると思うし、ゆっくり待てばできることも多いけど、
どうしても「昔より動かなくなった」と過去の自分との相対比較が激しくなり、いくら出来ていることを伝えても、すぐに自己否定になってしまう。
それは、祖母だけではなくて周囲の家族も同じく記憶が邪魔をして、「昔はもっとこうだったのに」と、現在を受け入れきれず、祖母のゆっくりとした行動にいら立ちを覚えて、祖母ができることすらも奪ってしまって、さらに祖母のアイデンティティが小さくなるという悪循環を感じました。。
高齢の患者さんの中でも、「老いを受け入れている人」と「受け入れきれていない人」と分かれているなと思っていたけど、何が違うんだろうと考えたところ
その大きな違いは、
「できていることを見ているか」
「できないことを見ているか」
☆バイタリティーに溢れている方は、できていることに視点を向けて、好奇心旺盛で、また自分にできることはないのかと視野を広げていることが多い。
☆どんどん鬱っぽくなる方は、できないことしか見れていないので、新しいものへの挑戦が難しくなる。
実際に、もう片方の祖母は「できないことをくよくよしてもしょうがないじゃない」と開き直るタイプで、高齢になってから読書が趣味になり、自分が得意なことをすると照れ臭そうに報告するから、同じ年代でもアイデンティティの違いでこんなに違うんだと実感。
でも、これって、高齢者だけではなくて、人間全員に当てはまりませんか??
私自身も自己否定が強いから、どうしても「できないこと」を観ることが多くて、どんなに褒められても、「あれができていないから褒められる者じゃない」と思っていて。
その元々のアイデンティティが、年を重ねることでさらに強固になって、老い方にも関わってくるんだろうなと思いました。
今年の私のテーマでもある「絶対自己肯定感」
これは、私だけではなくて老若男女問わず人類共通のテーマでもあるのではないかと思いました。
楽しく老いを過ごすには、どうしたら自己肯定感を養えるのか、そのテクニックはまた今度お伝えしたいと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。
のんのん
12月で思い出すこと
こんにちは!
最近、急に寒くなりましたね💦
この寒さと12月になると、思い出すことがあります。
13年前の12月。
母方の祖父がくも膜下出血で亡くなりました。
倒れたと連絡があった日から数日後、亡くなったと連絡が来た日のことはいまだに鮮明に覚えています。
・所属していた合唱サークルの発表会のリハーサル日だったため、そのリハが終わってから行ったこと
・発表会で歌う歌の中に「死」に対する歌があり、涙が出そうになったのを必死にこらえて結局歌えなかったこと
・岡山駅で電車を待っていたときの刺すような寒さ
・最寄り駅からのタクシーの中で、涙が止まらなくなったこと
「人の死」を間近に見たのは、これが初めてだったし、祖父には可愛がってくれていたので悲しかったし、いまだに思い出すと涙が出てきそうになりますが、
棺の中の祖父の顔になぜか血痕が残っていて、エンゼルメイクでは元の姿に近い姿にしようと固く誓った日でもありました。
そして、この日を境に母方の家族の時間が止まりました。
物理的には、祖母が認知症を発症するなどそれぞれ年を取っていますが、
なにかもめごとになると、いつも話題に上るのは、祖父が倒れた時のこと。
「救急車で搬送先が変わったからだ」(重症例だったから最初運ばれた病院では対応困難だった)
「心臓マッサージとか何もしてほしくないって言ってたけど、それを勝手に決めないでほしかった」(元々祖父はno CPR希望で、長男がそれを医師に伝えた)
などなど。
冷静に考えたり、医療者であれば賢明な判断であるのだけど、
感情が邪魔してそれが整理できなくて意固地になって、生存している祖母に対してのそれぞれの「良かれ」がさらにエスカレートして、母の兄弟は今は心がバラバラで一触即発な状態。
それに心痛めている祖母の話を聞いていると、こっちまで悲しくなります。
そのような光景を見て、「家族・親戚は仲良くしなければいけないもの。仲良いことが当然」という私の固定概念にも気づけたけど、やはり祖母には笑っててほしいという願望はあります。
一堂に会して話すことが難しい今。
観点の問題が分かっている孫として、何かできることはないだろうか。
この姿を見て、祖父はどう思ってるんだろう。
まだまだ時間がかかりそうだけど、仲間の力を借りて、少しずつ家族のコンサルティングに入れたらいいなと思いました!
もし、何か良いアイデアがありましたら、連絡ください!
最後までお読みいただきありがとうございました。
のんのん
旅行が何十倍も充実してしまうツアー!
こんにちは!
すっかり寒くなってきて冬が近づいてきてますね。
今月は、旅行のブログばかりになってしまったから、何で旅行が好きなんだろうと自分なりに考えてみました。
小さい頃は、父と弟がボーイスカウトをしていて土日がつぶれていたので、遠出することは少なくて、家族旅行は、熱海と日光、そして岡山にある両親の実家行くついでで行った宮島のみ。ディズニーランドへは年に1回行くぐらいで、他の遊園地はそれぞれ1回しか行った記憶がないです。
横浜に住んでいたのに、シーパラは行ったことなし…
そう考えると、旅行好きになったのは大人になってからなんですね。
一人旅の最初は、家の近くの温泉から始まり、だんだんと新幹線を使って遠出するように。
ドライブも好きで、名古屋に住んでいる友達に会いに、高速を飛ばして行ったこともありました。
当時の私にとって、旅行は有名なところに行ってリフレッシュすることだけが目的でした。
なので、撮った写真は建物ばかりで、ご飯もお店を探してはみるけど結局は一人じゃ入れないと思い込んで、コンビニ弁当でホテルで食べるということも。男性みたいとよく言われましたが、旅の目的が果たせたら他はどうでもいい感じでした。
そして、やっぱり帰り道になると、「帰りたくないな」とか、「明日からまた仕事か」とため息ばかり。旅行の感想聞かれても、「建物がすごかった」ぐらいしかなくて、自分でも何かつまらないなと思ってました。
そんな時に出会ったのが、nTechをベースに作られた教育観光ツアーの「ヌリ路」。
アテンドしてくださる方も素晴らしく、その土地の時代や建物の歴史的な背景なども現地に行きながら教えてくれるので、自分がその時代にいた人のような感覚になれるんです!
そのヌリ路に参加してから、私の旅行に対するスタンスが変わりました!
特に今年は九州を巡ってみたけど、九州は神話や邪馬台国などの古代から明治維新の立役者がたくさん出ているなど、歴史的にとても興味深い場所ばかり!
その中で、旅行先の土地の歴史やどんな人が出身なのか、どこかと通じるものはあるのかと考えてみたり、書かれている説明を読んで、思いを馳せてみたり。
今までは、自分と建造物を分けて考えてきてたけど、歴史背景などを考えてみることで、当時の人々の気持ちが少し分かるようになり、その人たちが建てた建造物がまったくの赤の他人ではなくなるし、その時代から脈々と受け継がれている土地のエネルギーとも繋がることができるんです!
だから、その土地の美味しいものを頂こうとドアを開けることができるし、土地の方の会話がしたくてたまらなくなります!
そして、その土地のエネルギーを感じながら、私は後世になにを残そうかなと考えるまでに!
えっ?と思うかもしれませんが、旅行を通してまさに温故知新を学び、自己満足で終わるのではなく、未来へどういう日本を残していきたいのかを考えられる壮大な旅行になっていきます!
皆さんも、その壮大な旅行を試してみませんか?
ヌリ路は、不定期開催ですが、ぜひ参加してみてください!
ぜひ興味のある方は、こちらへ→
https://www.facebook.com/nuriroad/
本日もお読みいただきありがとうございました。
のんのん