☆Luminare☆

何ものにも縛られず、自らの可能性を見出し、光り輝きたい人へ

のんのんの秘密①

こんにちは!

 

今日からは、私のことをもう少し詳しくお伝えしようと思います。

 

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自己紹介 - ☆Luminare☆

 

 

私は、岡山県生まれの両親と、2歳下の弟との、典型的な核家族で、父が勤めていた会社の社宅で育ちました。

社宅と言っても、団地のような建物が二つしかない小さな社宅で、同世代も多く、社宅自体が大きな一つの家のような感覚で育ちました。

 

母も長女で、「お姉ちゃんなんだから(しっかりしなさい、下の子たちの面倒を見なさい)」という言葉に苦しめられたらしく、その言葉を私に使うことはなかったので、

残念ながらという自覚は少なく、弟も一緒に遊んで同じ部屋に帰ってくる泣き虫な子という感覚でした。←弟は私のことを姉だと思っていたし、誰よりも話を聞いてくれるけどアドバイスが適格だから怖いらしいですが(笑)

 

でも、長女の特徴である「誰かの役に立つ」「責任感の強さ」は、兼ね備えていて、学校の成績表でも良く評価されていました。

 

誰の責任を取ろうとしていたのか。誰の役に立とうとしていたのか。

それは、「」でした。

 

このブログで、何度も出てくる母ですが、

母は、母が小4の頃から癲癇を発症しており、一時期は落ち着いていたものの、私が幼稚園の頃から発作が頻発に出てました。

 

なので、小さいころの私の記憶は、母が発作を起こして倒れて、何かが起きている場面ばかり。

そのあとどうなったか、私はどうだったとかは覚えてないけど、写真や映像のように私の脳裏に焼き付いてます。

 

母や大人たちからは「ストレスを与えなければ、疲れさせなければ」発作は起きないと聞いていたので、

母を怒らせないように、自分で言うのも変ですがとてもとても良い子に振舞っていました。

近所のおばさんや、親戚の人たちからも「のんのんは、大人しくて良い子ね」と言われていたし、両親にとっても「お手伝いとかもするし、反抗しない良い子」でした。

 

ですが、どんなに褒められることをしても、ましてや何もしていなくても

母は突然倒れてしまうんですよね。

 

しかも、母は突然癇癪も起こすから、
子どもとしては「何をしたらいいのか分からない」状態に。
 
怒られるようなことをしてもダメ、
良い子にしてもダメ、
 
もう母に近づかなければいいのではないかとかまで考えたくなるから、
暗くなるまで社宅の敷地内で遊んだり、狭い家にいてもなるべく台所とは離れた部屋にいてテレビを見て過ごすようにしていました。
 
しかし、そんな時に事件が起きたのです。
 
 
つづく