のんのんの秘密②
こんにちは!
今回は、私の秘密シリーズ(笑)part2!
事件と言うのは、幼稚園に通い始めたころ、滲出性中耳炎が発覚したんです。
一般的には、小学低学年で自然と治るものですが、
私の場合は骨格的な問題もありかなり重症だったらしく、診察した医師からは
「この子は、一生治らないかもしれない」
と言われました。
母は、自分が気づいてあげられなかったことを今でもたまに謝罪してきますが、そんな姿をみて、私も自分のことを責めました。
あー私が母にストレスを与えてしまった!(>_<)
と。
母にストレスを与える→倒れてしまうかもしれない
の方程式が成り立ってしまっていたので、
病院までの自転車で片道15分ほどの道のりを週2回一人で行き、
先生の言いつけを絶対的に守り、
幼馴染や友人と遊ぶことも極力控えて、家でシルバニアファミリーの人形たちと遊ぶことが増えました。
滲出性中耳炎は、数えきれないぐらい鼓膜を切開したりチューブを挿入して、徐々に治っていき、15歳で定期通院を止めて、18歳の時に完治宣言を受け、主治医と泣いて喜び合いました。ですが、再発すると今度こそ一生治らないとのことで、スキューバダイビングなどはドクターストップのままです。
元々、生後10か月の時に硬膜外血腫で入院した時にアトピーが発覚して、定期的に受診してましたが、
その後も凍った道で滑って顎を切ったり、
小3では無菌性髄膜炎にかかり2週間ほど入院したりと病院にお世話になりっぱなしに。
無菌性髄膜炎で入院した時には、生後10か月の時からお世話になってる主治医が朝早い時間に様子を見に来てくれたり、
看護実習生が私についてくれて、脳波検査後のシャンプーや勉強を教えてくれたり
と、貴重な体験をたくさんして、
小さいころからの病院での経験や、「人の役に立ちたい」という思いや、この時期に、母が痙攣するほどの癲癇を起こしたのも相まっていたので、「母を助けたい」という気持ちもあったと思いから、
『看護師になりたい!!!』
と小3で決意しました。
小5~6年では担任に物申して尊敬してくれる同級生ができたり、その関係か学級崩壊が起きていたし、
中学時代には、女子グループからのシカトとかも経験して、それなりにつらい時期もありましたが、
全ては看護師になるため
という意気込みだけで、乗り越えてきました。
そして、一日でも早く実技も座学も両方バランスよく学べるという条件を考えて、看護短大に入り、つらい看護実習も乗り越えて、
国家試験も突破して晴れて看護師になれました!
けど、そこでまた壁にぶち当たるのです。。。
つづく